望外

2018年6月に仕事が始まってから21ヶ月経とうとしている。私の職種は2年でいったん卒業し、3年目はまた学生に戻るという(こう書くと改めて)恵まれた環境で、次に仕事するのは2023年の秋、3年後。そこから2年は外なので今とはだいぶ違う仕事になり、次に東京に戻ってくるのは2025年の夏、実に5年後になる見込み。そんなに経つとどうせこの2年何してたか、何考えてたなんて忘れてしまい、また最初の頃みたいに右往左往無思考デイズになってしまいそうなので、少しずつ言語化しておくことで自分への理解、自我の確立をしておきたい(完璧な整理なんてできず、一種歪みを持つアウトプットになったとしても)。

 

考えておくべきことはいろいろありそうだけども、おととい3月5日、めっちゃ尊敬上司と3時間半サシ飲みというスーパー幸運ボーナスタイムがあったので、絶対忘れたくないので噛みしめておく。ちなみに元々は5人くらいの会合だったんだけど、某疫病のせいでなかなか皆仕事を抜けられず、待ちながら飲んでたら結果的にサシになってしまったという、どこかの神社に御礼に行くべきレベルのスーパー僥倖だったのである。

 

その人の何がそんなに良いのかというとちょっと難しいのだけど、私が見える範囲で下記のとおり。上からも下からも評価が高いので、私が理解できてない点ももっとたくさんあるのだと思う。

①頭がいい(記憶力、リスク発見能力、膨大な情報をよくインプットしている)

②コミュニケーション能力が高い(プレゼンがうまい、部下に細やかに気を配る、いつも機嫌がよい、部下とよく雑談をする(なので部下から話しかけやすい))

③相手の立場に立って考えている(上層部の関心・ニーズを予測しており先手を打って応える、部下の仕事のクオリティが低くても責めない)

④冷静で状況判断能力が高い(何が足りていないか見抜く、場合によっては自分でカバーしてしまう、部下に無駄な仕事を要求しない、やばい状況になっても声を荒げたり取り乱したりしない)

⑤体力がある(忙しくても倒れない、疲れていても仕事のクオリティが高い)

⑥華がある(単に顔がいい。あとスタイルが良い、おしゃれ)

 

そんなスーパー人間とスーパー幸運サシタイムで何を話せたかというと、昨今の諸々とか、かつてのうちの課の状況とか、あと優秀な人ってどんな人だと思いますかと聞けたのがとってもハッピーだった。

 

Q. 優秀な人 

と聞いたら、ちょっと嫌そうな感じで「誰から見て?組織に有用な人ってこと?自分の理想像ってこと?」と聞いておきながら、結局「組織の有用性」面でしか答えてくれず、それは(そこまで自己開示したくないというのもあったのかもしれないけど)理想像なんてないのかなと思わせるものだった。私はよく「こうなりたいな〜」と思うタイプなので勘違いしがちなのだけど、決してみんなそう思う訳ではなく、自己実現のためではなく仕事のために仕事できる人も多くいるのだ。(そういう意味でも私は理想主義的と言えるのかもしれない。。)

それはさておき、彼の回答は「相手との関係性や、現在の状況などを正確に理解し、自分の影響の及ぶ範囲を客観的に把握している人」というものだった。

例えば① 某交渉について、今の状況で無理に追求しても、こちらの望むものは得られないだろうなと考えている時、上から「絶対やりたい!」と言われたら。自分は相手との関係性において「今やっても足元見られるだけですよ。やめておきましょうよ。」と説得できる力があるのか。無駄に説得を試みて相手の信頼を失った場合、自分(この組織)がルートから外されて別のルートでやられてしまい、かえって悪い状況になるのではないか。自分がやるやらないの意思決定に影響を及ぼせないのであれば、自分が影響を及ぼせる範囲=その交渉をやる前提で、結果が最悪にならないようダメージコントロールに尽力する、方がいいのでは。

その例② が今回のイッセーキューコーで、あれは主管組織がトップまで外されて無理に進められたと見ている。元々あの組織が信頼を得られてなかったのか、途中までの議論でやっきになって止めようとしたので外されたのかよくわからないけど、結果散々な事態を招いてしまった。

ただ、「相手との関係性」は決して静的なものではなく、これまでの積み重ねで常に変動するものだから、いつも諾々と従うだけではなく、普段は信頼を得ることに注力して(モノによっては微妙だと思うものも積極的に受けつつ)自分の影響の及ぶ範囲、を拡張・理解し、ここぞというタイミングでは打って出る必要もある。

 

この回答は極めて彼らしいものであると同時に、我々の組織の特性と限界をよく示していると思った。私たちは、最終的な意思決定権限は持っていない。昔はどうだったのか知らないが、現在の力関係は圧倒的に我々が弱く、間違えそうだと感じていても、私たちは止めることができない。「あっち側」を止めるのは最終的に「あっち側」の自浄作用に期待するしかなく、内部の派閥争い、野党、マスコミ、そして最終的には国民に期待するしかない、というのが我々の抱える限界なのだ。(もちろん、我々ももっと頑張るべきだけど。)

ちなみに、批判・反対ばかりしているアクターは敵認定しかされないので、賛成する・反対するをもっと効果的に使っていき、みんな自分の影響の及ぶ範囲、を拡張・理解する必要があるのかなと思った。

 

そして直感的にこの回答を彼らしいと感じたことで、今までちゃんと認識できてなかったけど、私はなんとなく彼のことを冷静な現実主義者と理解しており、そしてその部分を最も尊敬してたのかもと思った。人当たりが妙に良く、常に相手の望む仕事・態度を取っているのが、単に献身的で性格の良い人というだけでなく(単に献身的で性格が良いというのが大半を占めるが)戦略的に「自分の影響の及ぶ範囲」「人間関係」を良くするため計算して行なっているものであり、自らの原初的な感情や衝動を、理性で抑えているところを私は一番尊敬しているのかもしれない。

私は感情的かつ理想主義者で、こういう仕事がしたいのにとか、この組織はクソだなとかよく失望し、すぐ「どうせこの組織ではなんでもできない」と冷笑主義に陥りがちなんだけど、これは簡単だけど特に良い効果はもたらさないとも思うので、「もっとできるはずだから頑張りたい☆」とか夢見る夢子ちゃんになって自分を鼓舞してるのだけど、冷静な現実主義者が愚痴ったり失望したりせず淡々と仕事してるのを見ると、すばらしいなと思うのである。(究極目指したいのは実力を伴った理想主義者なんだけどなかなか出会えていない)

  

 

こんなの学生時代からおんなじような自己認知で、認知にアップデートがないことも、結局あまり現実主義に近づけていないことも、若干ガッカリではありつつ、

抽象的なイメージ像ではなく具体的な現実主義者類型①に出会えていたこと、それをなんとなく良いなと思いながらあんまわかっていなかったところに一つの理解を与えられたこと、とっても有り難くまじで貴重な機会でした。懐かしい用語を引っ張り出すと、メタ的自己認知、というようなこと偶に言ってたけど、ああこれがそれを実践している人なんだなと実感を伴った理解。

 

 

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ここまではおとといの話なんだけど、追伸的に昨日の話も備忘録。

今オフィスで斜め前に座っている先輩(10個上くらい)、なんとなく尊敬上司に考え方が似てるなーとこっそり思ってて、昨日たまたま周りに誰もいない絶好の機会があったので

「尊敬上司とこういう話をしたんですよ。以前先輩が『この案件無駄だなーと思っても、いつか自分がやりたい案件をやれるようにとりあえず呑んでやっておく、みたいな人もいるのでは?』という話されてましたよね。それを連想してました。」と言ったら

「尊敬上司は(直感的な判断だけで)『無駄な案件』と断言することはないと思いますよ。なぜならその案件がどういう帰結をもたらすか、未来のことは『自分の影響が及ぶ範囲の外』と思うでしょうから。」と返されて、これまたすごく目から鱗だった。

(根拠や数字に基づく判断はさておき)直感的な「こんなの無駄」判断、感情的な冷笑主義は、「自分の影響の及ぶ範囲」外のことを勝手に判断するものなのかと。(仮にその直感が正しかったとしても)堅実に「自分の影響の及ぶ範囲」を判断する人は、わりとこだわりなく、ある種楽観的に、「上が希望するよくわからん案件」を遂行するのかもしれない。

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他にもいろいろ話したんだが、例えば昨今の話系で言えば↓のこと、飲み会で仕事の話ばっかしたがるのは悪い癖と思いつつ、他の人はいなかったしで、根気よく付き合ってもらえてとっても有り難かった。こういう話大好きなんだけどあんまり職場の人々は好まないっぽいので。。

大学時代はみんなこういう話好きで嬉しかったなあ。

(雑な紹介:他に話したこと)

これまでの日本で、危機管理で大きな失敗だったなと思うのは、3.11と今回のコロナ。政権がどうとかもあるが、日本の官僚機構は基本法学部出身で成り立っており、理系の素養をもった幹部が少なすぎる。原子力とか疫病学とか、専門家会議などをやっていても、意思決定側に理系のセンスがなく、うまく対応できていない。

 

うちの職場の人とか、よその職場の人ってどんなこと考えながらお仕事してるのかしら。私の刑期任期もとりあえずあと3週間ちょっとなので、今のうちにまたいろいろと振り返っておこうと思う。