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日記:十九日目:寄席

百日日記

人生初。朝ドラのちりとてちんと、笑点をたまに見るくらいだった落語。渋さ、小粋さを分けてもらえる気がしていつか行ってみたいと思っていた。

時は三月二十日、浅草演芸ホールにて、初めての寄席。

あ、浅草そのものも初めてだった。大晦日の深夜に全国津々浦々の寺社仏閣が映されるアレで見たことあるくらい。日本人より外国人の方が多そうで、嘘っぽい日本的なもので歓心を買おうとする土産物屋が並んでいる。参道に軒先をつらねる店々は京都でもよく見るけれど、曲がりくねっていない直線的な見通しと、人通りを考えた広い道幅、坂でないあたりが清水前や銀閣前と違って見える。土産物の内容も、修学旅行生や国内観光客を狙った京都に比べ外国人向けのような。あんま見てないけど。夕方から夜にかけての時間だったけれどまだまだ賑わっていて、二、三時間も前だったら身動き取れなかったかも。雷門の巨大提灯には松下電器寄贈の刻印が入っておりました。迫力あるねえ。

 

路地裏に入ると飲み屋がところ狭しとひしめいている。透明ビニールが扉がわりに垂れ下がり、アスファルトまで進出している小さなテーブルと椅子は、テラス席というより店の内圧に押されて思わず道路まで染み出してきたみたいに見える。どこも満員で赤ら顔の人たちが笑っている。活気があってぶつかりまくるけど誰もイライラしていなくて、呑気にお互い様よとぶつかっている感じが下町っぽい。

 適当な店に入って味付けの濃いつまみを頼む。らっきょう、ごぼうの揚げ物、チヂミ、お好み焼き、うずらの卵を漬けたの。電気ブランがある。浅草だねえ〜〜〜〜。偽電気ブランに憧れ京都のビートルズ飲み屋でよく頂戴していました、懐かしい。

 

小腹がふくれたところで満を持して寄席へ。夜7時からさらに割引になるので、映画と同じ値段で入ることができる。月の上旬中旬下旬で演者が変わることを知らなかったのだが、中席の最終日だったようだ。思ったよりも狭い場内で、まばらに席が埋まっている。映画の感覚で、横も真ん中、縦も真ん中に座ったが、聞いているうちに真ん前や端っこに座っても味わいありそうだなと思う。

 

とりあえず最初に思ったこと。焦点が一つだ。舞台の真ん中に噺家がひとり座って、表情をくるくる変え、身振り手振りを交えてハナシを売る。その演者だけを見つめる。 映画と違ってあちこちに目をやることがなく、ただ一点に目線が引き絞られていることが新鮮だった。

 

仲入りという休憩時間が開けて、いよいよ一日の最後の時間帯が始まる。といってもいつ出入りしても良いみたいだけれど。

 

最初に出てきたのは三笑亭 夢丸という人だ。仲入り開け最初の演者を食いつきと言うそうだが、19時から21時まで見た結果トリ以外では一番うまかった、と思った。話のマクラから本編に入っていく流れが鮮やかで気持ちがいい。電車で通ってきている、という話から、車内や駅で見かけた出来事をつぎつぎ小噺に仕立てて繰り出し、最後に四ツ谷駅が最近キレイになった、バリアフリーやエレベーターがしっかりついて、昔はカイダンだけだったのに、と落として怪談話の本編が始まる。日本昔話でもおなじみ、のっぺらぼうのやつ。

主人公が慌てふためくところでは両手を使ってダン、ダンと床板を叩き、臨場感がある。声が通って聴きやすく、これぞ想像していた落語家だ、という出だしだった。

 

次が桂米多郎。内容は覚えていたので調べたら「壺算」という題目だったようだ。落語をまったく知らないので話の流れを予想できず、楽しめる。オチをあらかじめ知ってからが落語の楽しみ方ということもあろうが、知らぬ楽しさは一度しかないので良い。

 

次の漫才は東 京丸・京平という70手前の人たちで、ヒヤヒヤする感じだった…。滑舌が聞き取りにくいのは歳のせいか…必死で笑いどころを聞き取って笑う感じ。高齢の漫才師ってそういう印象もあるので、イメージ通りという意味ではよい。あと、テレビを見てる時にやりがちな、笑わせてくれるんだろうなオイという姿勢ではなく、一緒にこの場を盛り上げようという気持ちになってくるのが新鮮である。お金を払っているという点ではテレビより傲慢になっても良いのに、お金を払ってるから元を取るために主体的になるのか、お金を払ったことで相手に対して敬意を持つのか、双方向的な場なので気をつかうのか、どれもあるんだろうけれど。

 

次が三遊亭遊雀。調べてみたら有名なようだけれど、少し投げやりな声の調子で早口なので、ところどころ聞き取りづらい。ただ、ふぐ鍋というネタだったのだけれど、鍋をかき込んだり酒を飲む演技がすごくて、これぞ噺家の食べ芸、と感嘆した。ほんとに美味しそうでよだれが出そう。すごい。

 

20時を過ぎ、残りわずか。桂信治。い〜〜〜顔!やさっしそうなニコニコ顔で、見てるだけでこっちまでニコニコしてくる。やったネタを調べたら初天神というそうだが、Wikipediaにあるところの飴と団子の場面だけであった。団子のところはま〜おぞましくって、ぞわぞわしてしまったけれど、これも腕の見せ所なんだろうか。

 

箸休めみたいな立ち位置なのだろうか、次の鏡味正二郎は曲芸師で、お手玉や茶碗回し、傘の上で毬やお猪口を回したり、ほうこれがいわゆる曲芸かといった感じ。毬は真っ白だったけど、色で塗り分けたりした方が回ってるのがわかりやすいと思う。紙を刀で切ったりガマの油売り口上みたいなのをやる人もいるんだろうか、見てみたい。

 

トリが桂小文治という人で、さすがであった。トリなのでネタを長くやらせてもらえるとかあるんだろうか、他の人が体感10分くらいだったとすれば2,30分くらいあった感じである。たぶん、「七段目」という題目だったのだろう。芝居狂いの登場人物が、芝居が好き過ぎてついつい日常会話を歌舞伎っぽくやってしまう、という内容なのだけれど、歌舞伎っぽいふるまいが噺家の見せ場と思われる。声も良い。歌舞伎っぽく演ずるところではおはやしが生で入って、おはやしとの掛け合いがぴったりハマって気持ちいい。普通の顔なのに、歌舞伎化粧を施しているような顔つきをして見得を切るところがすごい。歌舞伎で連想する浮世絵みたいな顔つきを、化粧なしでするのである。眉毛どうなってんの?すごい。まだ噺の途中なのに歌舞伎の身振りがすごいので拍手が起こる。

 

 

 

 

 

 

生で演技を見る、ということ自体をあまりやったことがなく、ライブやテレビの観覧も行ったことがないのだが、客席が演者を称えて笑ったり拍手をする雰囲気が良い。桂小文治も言っていたが、この夜のまばらな客席だと客がよく笑うそうだ。ぎっしり詰まっているよりも気楽で客の方にも一体感があり、誰かが笑うと釣られ笑いが起きやすい。

笑点で見る人や大御所だと寄席には出ないようで、帰ってから調べると数ヶ月先のチケットまで完売のようである。そういうちょっとフォーマルなのも行ってみたいなー。

 名も知らぬ、顔も知らぬ客同士と、演者とで、その場限りの宵のひとときを一緒に楽しんだ。大笑いするというより、芸に敬意を払い、あったかい場のひと枠に加わらせてもらった、という感覚が強い。