日記:七日目:無題

老いへの憧れ、俗世と仙界、今日やったこと、書こうと思うトピックはいくつかあるのだけれど、どれをまとめてもなんだかしっくりこない日だ。今日は何を書けるだろう。

 

一週間遅れのバレンタインをもらった。就活の諸々を少しした。宗教学系の新書を5冊返して小説を4冊借りた。やたら高い参考書を買った。おにぎりとトルティーヤを食べた。貴族みたいなセーターを着た。クリーニング屋のカードを作った。三日連続で朝と夕に二度喫茶店に来た。

 

日常だ、日常だ。けれど昨日と少しだけ違うことをした。明日しないことをした。何が非日常で、どこからが日常なのか。連続性はどの程度の振れ幅になら耐えるのだろう。生涯に数回しかないことをしたら非日常なのか。何回だ。ふだんの自分を大きく離れたらか。自分の切れ目はどこだ。

 

日常に飽いでいるか?愛しながら飽きている。

感情を動かしたいのかもしれない。情動には飢えている。

 

 

今日の日記はどうすればよかったのか。 トピックをごりごりまとめるべきであったか。さりげなくサボるべきだったか。本を読んで感想でも?

自己正当化の心理学をそのまま実証していて、今日はそれなりに満足できる日であったのに、何を書けばいいのかわからない日だ、と気づいた点においては、日記を始めていてよかった。

それなりに思うこともあった。各々題をつけることでエッセイ風味のでてきた日記のおかげで、一日のテーマを無意識に探すようになったかもしれない。

前よりは好い過ごし方になった気がするけれど、これは何事にも意義を見出したがる哀しいさがなのだろうなとも思う。