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日記:十一日目:ファンタジーと小説

百日日記

オラオラ系業界でもみくちゃになっていたので今日子羊みたいな集団に行ったら逆にどう振る舞えばと困惑した。和を尊びすぎると何も得るものがない。協調も場を見て弁えねば、責任を負わまいとしてしまった気がして歯がゆかった。

 

65点主義と過剰な協調と無責任とフレームワーク至上主義、まあフレームワークも複数持って使い分ければ頭使えるのでフレームワーク自体が悪いわけではないので、うん。良くないところがまた見つかったのでまあ行ってよかったかな。

ありきたりに自己反省とかしてるーやだー。研究しろー

 

 

 

最近は千年の祈りという短編集をゆっくり読んでる。中国出身でアメリカ在住の小説家。共産主義の村々に住む貧しくて寂しい人たちの短編。はちゃめちゃに暗いわけではないが、嫌悪や挫折が良く出てくるので読んでると悲しい気持ちになる。和訳はうまいが、英語でも読んでみたいかも。

 

ファンタジーが好きだ。トールキンとかミヒャエル・エンデとか上橋菜穂子とか、まったくの架空を異様なまでにリアリティを持って書いている、想像力のお化けみたいな世界に入り込む時間が好き。

マチュアラノベ登竜門の小説家になろうもたまに覗いているけれど、お約束が確立されすぎて飽きてきた。主人公がひたすら強い爽快感、現実から異世界に飛ぶものの過剰な供給には、その裏に弱くて逃げてしまいたい読者がたくさんいるからだろうと思うと切ない。

筆者はどのような意図で小説を書くのでしょうねという国語のお題。もしその小説が評価あるいは売れているのだとしたら、読者はなぜその小説を読むのでしょうねということも気になる。

 

 

自分の物語好きについて考えてみれば、小さい頃は冒険心を刺激されてわくわくするのが好きだったんだろうと思う。あれこれその世界を自分で想像してみることとか。なんで?うーん。好きなものを説明するのは難しいな。

 

映画や漫画も好きだけれど、自分が想像できる余地というか、能動性や裁量は限られてくる。自分で勝手に想像できるのは小説や物語の好きなところだ。曖昧なままぼやかしておけるのも良いところ。

好きな原作の実写化を好きな人はあまりいなさそうだが、指輪物語の映画を見た時はショックだった。主人公はこんなに美形じゃない!で頭がいっぱいで映画の内容があんまり入ってこなかった。

 

小説には歴史とかSFとかある、現実も。今読んでるのもそうだ。

知識を得るという楽しみや、自分が生まれる時と場所が違えば…という感情移入なんかは小説ならではの良さかもしれない。

ということは、小説より物語の方が未だに好きなのは、あまり自分に置き換えすぎずに観覧のままでいたいからなのかな?どうだろう。

 

感情の揺れつまり叙情と、できごとのおもしろさつまり叙事も好きなのだけれど、情景を想像しているのが一番楽しいかもしれない。わからないな。適当なことばっかいって言語化しすぎると、そうじゃないのにそれが正解になっちゃうから気をつけなくちゃ。

 

まあ好きなものに理由はない。小説にしろ物語にしろ好きだよ。去年の今頃は王妃の離婚とか存在の耐えられない軽さとか読んでたな。おもしろかったけど結構忘れちゃった。