読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

日記:十二日目:休日

今日は朝起きた時から休日にするぞと決めた。

短編集を読み終わり、続けて高慢と偏見を読み始める。一昨年くらいに映画をみたきっかけで原書を買い、途中まで読んでいたのだが英語が古いので分からないところが多く、脱落していた。日本語で読んでも、会話の発言者がわかりにくいのと皮肉めいた冗談が多くてどちらみちわかりにくい。何度もページを戻したり昼寝しながら上巻を読んだところで夕方になった。

 

少し歩いてシャツを買い、電車に乗って大学へ。読み終わった小説と開きもしなかった専門書を返し、置きっ放しにしていた充電器を回収。先輩と世間話をしながら映画を観に行く約束をする。

 

あれ、以上だ。終わっちゃった。なんもしてないもんなあ。

千年の祈りについて書き留めておこう。

備忘録

「あまりもの」 さみしく純朴な老婆が解雇されたところから始まる
「黄昏」 障碍がある娘と夫婦
「不滅」 宦官を伝統的に輩出してきた共同体が主語 毛沢東死後の代役
ネブラスカの姫君」 女型の美青年とゲイのおじさんと若い女の子
「市場の約束」 幼馴染に裏切られた女教師と老母
「息子」 愚かな母を傷つけては後悔するアメリカ在住の息子の帰省
「縁組」 母を嫌う娘と母娘の面倒をみにくるおじさんと出てこない父親
「死を正しく語るには」 元子守の女性とその夫を見ている女の子
「柿たち」 干ばつに襲われる共同体の父たちの会話劇 事件を思い返す
「千年の祈り」 老父がアメリカ在住の娘を訪ねる数日間

 

登場人物がだいたい不幸。権力に抑圧される閉塞感とか、慣習で決められた生き方と、それもあまりうまくできない貧しさと。中国の現代小説を読んだのは初めての気がするので、新鮮ではあった。

 

著者自身の背景が影響しているのだろうが、慣習と共産党に縛られた生き方から抜け出すにはアメリカに進学するというのが唯一の脱出方法っぽい。アメリカは自由で若くて豊かな国という憧れがある。

中国の古い考え方が散りばめられていて、こういうのが評価されるアメリカというのもおもしろい。(賞をいろいろとったのと、表題作は映画化もされている)

多様性を評価する国では、これも一つの文化として組み込まれていくのか、観察対象としておもしろがられるのか。私は後者の立場で読んだけれど、中国系アメリカ人はルーツを知るような気持ちでまた違った読み方になるだろう。

例を挙げるならば「千年の祈り」の題材となったことわざ。人と人とが出会うには、生まれてくる前に何年も祈ってるという前提があるらしい。友人や恋人やすれ違う人に至るまで、人との出会いをかけがえのないもの、と考えることわざだ。親子となると三千年祈った末に出会っているらしい。東洋っぽいかな?アフリカとか中南米の小説に明るいわけでもないのでよくわからないけれど。時の流れのスケールはでかい。去年の今頃読んでいて脱落した「百年の孤独」はスペインの有名な小説だが、桁が違う。