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日記:十三日目:老いへの憧れ

中学か高校の頃、地下鉄でとても素敵な老婦人と乗り合わせた。真っ黒な質の良いコートを着ていて、胸元に目の覚めるような朱色のブローチをつけていた。正方形で、中も正方形にくり抜かれている額縁のような形の、木でできたブローチ。自分に似合う自分の好きな服装をしているのだろうなあ、おしゃれだなあと思わず見てしまったのでよく覚えている。

 

先週の火曜日だったか、昼下がりの丸ノ内線車内で好々爺の具現化みたいな方が座っていた。ハットをかぶり杖を持っていて、くすんだ黄緑色のダウンと、しっかり折り目のついた灰色のスラックスを着ている。白い髭があごを覆っていて、耳が悪いのか隣の壮年の女性の口元に耳を近づけ、ずっと微笑みながらうなずいたり小声で返事をしていた。

 

かっこよく年を取りたい。まだ働き盛りのイケオジやイケオバも、年経る老夫婦もすてき。

バイトで某メガ外資SNSの社内に行った時、見かけただけなのだけどまあイケてる白人系イケオジが社内を闊歩していた。すらりと背が高くて、灰色と白の間の髪を短く刈り込んでいる。丈の長いコートのすそを翻し、黒縁メガネをかけていて、細身の黒いパンツにつつまれた足まで長い。

おじさんはかっこいい。

すらり系以外でも、学生時代にラグビーをやっていた教授が、がっしりとした壮年の身躯をベストと背広に包んでいたのも良かった。ジャケットではなく背広と呼びたい。

 おばさんもたまにかっこいい。テレーザ・メイとかラガルドとか。染めてるんかなというくらいきれいな白髪と鮮やかな色の服。樹木希林もいいね。

 

どういう老人になりたいか。

細身であり続けたいけれど、太ってしまってもいいや。ピンとしていたいけど、背中が丸まってしまっても構わない。微笑を浮かべて、穏やかで、小綺麗にしていて、人生を楽しんでいたい。酸いも甘いも飲み込んで、最終的に美とはなんなのかをよく知っていて、優しさと自負を持ち、老いた自分に誇りを持っていたい。

 

一度ひどい失恋をして、結婚も一度はしてみて、友を大切にして、本をよく読み、一時はしゃかりきに働き、失敗もして、人生の起伏から逃げたり歯を食いしばったりして、後悔と愉しさと愛を全部シワに刻み込んで、きれいな風景を一日に一度は見たい。

 

この間ラジオを聴いていたらルイ・アームストロングの「What a wonderful life」が流れてきた。しゃがれ声で愛情たっぷりで、奇をてらうわけでもない素朴な言葉で、すべてを肯定する老いが、悟りのような、美しいような、年を経るということはとても素敵なことなんじゃないだろうかと思わせてくれる。

 

肯定することは難しい。

Twitterで見かけたのだけれど、宮崎駿が「ペシミズムとか、虚無とか、ヒステリックとか、孤独を託つのは簡単。そういうもの作ってもしょうがないんだよね」と言っていたらしい。シンゴジラの感想ツイートでは、「庵野宮崎駿を超えたのは、組織を肯定できたこと」とあった。

 

根拠のない理想は無力で、楽(し)そうな夢想家だ。現実にやり込められて諦めるのもよくあることなのかもしれない。清濁併せ呑んで肯定する、強い優しさを持つ老人になりたい。人生頑張りましょう。