5ヶ月半雑感

殺人的な11月が終わった。週末はほぼ寝てるor出勤で、平日は7時半から24時25時まで働いた。身体の負荷が過剰になると精神もやられて、他課の人に苛立ち上司への不満が膨れ上がる。電話を叩き切り、悪口もたくさん言った。夜に家で(1回め)満員の終電で(2回め)夕方のオフィスで計3回泣いた。真夜中に大学時代の友人へ電話したり、週末寝倒したりジムで泳いだり、Amazonで映画を観たりしてなんとか心のペースを取り戻そうとした。

とりあえず11月は終わった。でも出来なかったことがたくさんあった。

 

◼︎忙しさ

良くも悪くも今の課は一般の人々からは遠い。地理的にも精神的にも。だから忙しさは基本的にポジティブな案件だ。少なくとも、世論を激昂させトップが会見でブチ切れるような事案の対応に追われたり、国会の質問が山のように出て明け方まで回答を作ったりすることはない。今月忙しかった理由は大型行事だ。

要人往来、というカテゴリーがある。よそやうちの偉い人が訪問することをいう。今月はやたらと引きが強く、偉い人5件の訪日に加え、めっちゃ偉い人の訪日というラスボス案件が1つあった。これだ。

ここの国は政治のトップが高貴な人だ。だから今回の訪日は高貴行事と政治行事があった。たくさんの行事があり、めっちゃ偉い人なのでひとつひとつのロジはきわめて綿密で厳格に準備する必要がある。その上、往往にして偉い人というものは多忙なので、直前まで決まらないことが多かったり急に変更になったりする。先方も当方も、様々な変数を抱えており、当日までなにがどうなるか分からない部分がいくつかあった。臨機応変、されど厳密に、という相反する準備が必要なのである。

これだけならまだいい。いや、大変なんだけどいい。楽しさもある。苦しかったのは、極めて大きな案件が入っていても、通常の業務、他の中行事、突発的な仕事、私が持っている案件も待ってくれないということだ。

不健全極まりないが、通常業務だけで残業を1~2時間想定するような組織である。そこに他の要人訪日やうちのトップの国際会議出席など中行事が重なり、国会の質問がいきなり当たり、初めての自分だけの仕事である個人案件ももともとこの時期に入っていた。

個人の案件を自分しかやってくれないのは当たり前だが、うちの組織は非常に階層的なので、通常業務や中行事でも細々とした仕事はすべて研修生がやる。そこに課を挙げての大型行事が入れば、そこでもいくつかの部分を割り振られる。

マルチタスク極まってだんだん何が何だかわからなくなってくる、ということと、自分の業務量を自分で決めることができない、ということに苦しめられた。

階層組織なので、皆それぞれランクに応じた仕事で多忙を極めているため、やらねばいけない作業があるが余裕がないとき、研修生に振る、ということはよく起こる。すでにいっぱいいっぱいなのに、振られた仕事を断ることができない。正確に言えば、きちんと説明して救助を求めれば考えてくれる人々ではあるが、説明している時間がない。上も忙しいことがわかっているので、つらつらと窮状を聞かせたり自分に頼まれた仕事を代わってもらったりするのは忍びない、という意識もある。相手が何を抱えているのかよく分からないまま、余裕がないままに拒否権のない下に降ろしていく。まるで自分がゴミ箱のようだった。

 

◼︎出来ないというストレス

ここまで物理的に不可能な状態になってくると「出来ていない仕事」が山積みになる。頼んできた人に文句を言われる、というだけでなく、自分自身も「出来ない」というステータスに辛さを覚えていく。仕事が多いので泣いた、というよりは、出来ない辛さに泣いた。

唯一幸いなことに、仕事の内容は好きなので仕事自体は楽しい。体と心を健全に保つスペースさえあれば、忙しくすることもやぶさかではない。幸か不幸か、量が多いだけでひとつの作業はそこまで難しいものでもない。だからこそ出来ない自分が嫌だった。

 

◼︎終わってみて

出来なかった仕事があった、頼んできた人の信頼を失ったかもしれない、という悲しさが私を達成感から遠ざける。

もう一つ、こんなに大変だったあの行事が、どんな結実に繋がったのか分からないという不透明さもある。上に貼った動画は、やっぱり見るとなんだかじんわりするけれど、確かに二国間関係は深まったと思うけれど、世界の平和だったりなんだったりにどれだけ貢献するものなのだろうか。

一つの仕事で、一つの時代の人間たちで、劇的に世界が変わるだなんて思ってないけれど、もう少しわかりやすかったらいいのに。こんなに労力をかけた一つの案件が、なんとかポイントをこんだけ貯めたり、思いもかけずこんなところに作用したんですよ、ということが見えたらいいのに。something good but I can't knowで清算するには注いだ労力がキツすぎる。

 

以上11月雑感まで。

 

11月から12月に変わる夜、観たかったボヘミアンラプソディを観ることができた。もともとQUEENが好きだったので冒頭から半泣きで、曲への感動や「生まれる前に死んでしまったこの人に私は絶対会うことができない」という気持ちなどあれこれあるのだけど、今の自分にクリティカルヒットしたのは、終盤のフレディが宣告したI decide who I amだった。与えられた状況がなんであれその決定権は自分自身に帰属する。来週は有給を取れたので少し頭を空っぽにしてくるけど、仕事に戻ったら、こんな組織でもこんな仕事のやり方の中でも、自分の在り方は自分で決めるようになりたい、と心を爆ぜさせて11月を禊いだ。